2014年12月8日月曜日

内発的発展史の視角

『東アジア資本主義の形成上比較史の視点から』東アジア資本主義の現状分析によってのみこの「成長センター」のダイナミズムを究明しようという、昨今「はなやか」な、しかし「短絡的」なやり方への不満にある。東アジア資本主義が今日を築いてきたのであれば、そこにはそれだけの内在的な歴史があったはずであり、これを比較史的な方法から導出すべきだ、というのが本書の研究スタンスである。そうした研究の端緒はすでに浜下武志氏や川勝平太氏などによって開かれていたが、本書のような共同研究の成果が公刊されたことは喜ばしい。

東アジア資本主義は従来の欧米中心の経済理論では、開発経済学であれ、近代化論であれ、はたまた従属論であれ、これを十分に解明できないと中村哲氏はいう。それらに代わる理論的仮説を氏がここで提起しているわけではないが、少なくとも次の四つは新理論構築のための要件であるという。一つは、経済を社会、政治、文化等と関連させて捉えること。二つは、東アジアの各地域、民族、国家の主体性を組み入れた理論であること。三つは、歴史的観点に立った国際比較。四つは、東アジア地域の全体像の把握、である。

本書を通読して、とくに私の関心を誘ったのは第二の視角、すなわち中村氏のいう「非欧米の視点」から周辺部を眺めることの重要性である。従来の世界資本主義論は周辺部の搾取・収奪・被支配の面からこれを論じるのがつねであったが、それでは東アジアの現在の発展は説明できないという至極もっともな観点がここで提供されている。

中村氏の議論を補強しているのが、堀和生氏の秀逸な論文「植民地の独立と工業の再編・台湾と韓国の事例」である。ここでは、植民地支配期においてすでに朝鮮、台湾では資本主義的生産様式が支配的であり、それがゆえに帝国主義勢力・日本との関係断絶後も、少なからぬ変動をともないながらも、はやくも一九五〇年代に新たな発展軌道を両者が見出し得たことを明らかにしている。ある種の「内発的発展論」であろうか。

宮島博史氏の「東アジアにおける近代的土地改革―旧帝国支配地域を中心にして」では、韓国、台湾の経済発展の基礎となったのが両地域における近代的土地制度の短期における徹底的な施行にあったと主張されている。その施行を可能ならしめた東アジアの要因を、氏はこの地域が小農社会であったことに求めている。

すなわち東アジアが独立した上地経営を旨とする小農から構成され、それゆえ個々の上地に対する権利関係が比較的明瞭であったがために、土地領有権という上部構造さえ取り除かれれば、旧来の上地関係がそのまま認定されるという構造にあったという。面白い指摘である。しかし、近代的土地所有関係の変革が資本主義的発展につなかっていく経緯はなお究明されていない。

2014年11月7日金曜日

どこかしこも問題の先送り

訴えてくるのは氷山の一角ですが、それさえ抑え込めば、その背後にある何百、何千、何万のケースが抑えられることもあります。訴えが殺到するのは異常事態なのだから、なんとか事前に食い止めようということにはとても敏感で、そんなところで裁判官は、「自分が社会の秩序を維持する正義の味方だ」と思っているのかもしれません。

弁護士においても、なるべく違法なことがないように物事を解釈しようとする人がいます。「違法だとしたら、今までやっていたこともすべて違法になるから、それはおかしい」といった本末転倒の思考がときどき出てきます。本当はその考え方こそおかしいのですが、「それが実務というものなのだ」と言わしめているのが、合法的解釈に長けた「裁判実務的思考」にほかなりません。

結局、「問題かおりそうでも、なるべく問題はないに越したことはない」という気持ちがさらにオーバーランして、「問題があっても、ないことにしよう」という方向に走りがちになります。「法律違反があったかどうかは別として」などといって、とにかく事件を処理することだけが目的となり、問題を闇から闇に葬るテクニックやシステムが確立しているわけです。

本当に問題がなければそれでも良いのですが、臭いものに蓋をしているだけで、実際に問題があることには変わりかおりません。単に深刻な現実から目をそらしているだけなのです。それでも、「問題が認識されていなければ問題がないのと同じだよ」という結論だけ聞かされて、むりやり安心させられているのが日本国民のようです。

2014年10月7日火曜日

遺跡で「古代ギリシャ劇」

私自身の体験からは、島々を中心とした観光地全般の町づくりがよいことを挙げたい。島では、どの辺りに景色のよい展望台や見所があるのか、どこを目指して行けばよいのかだいたい決まっている。特に小さい島なら船が着く港町と、修道院や城が頂上に築かれ広場や繁華街が広がる城砦型の町のふたつに見所が集中しているという特徴に手を加えていないのだ。主要ビーチには決まって路線バスが出ている。そのままの町並みを保存することで、観光客は地図やガイドブックを持たずとも、気軽に散策できる。その心地良さは、安心感や満足感につながっていく。

ギリシャ観光の最後の要素は、各々の観光地が見るだけに留まらない魅力作りをしていることだ。まずはギリシャの旅として代表的なスタイルのひとつ、クルーズの例からお話ししていこう。クルーズは地中海に浮かぶ島々のリゾート地を船で巡るもので、様々な種類がある。盛装して優雅にディナーやダンスを楽しむ豪華な客船から、食事の回数や停泊先の島でのツアーの有無がオプション形式になっている気軽なものまで自由に選ぶことができる。日数や船の大きさも好みのものを選べばよい。ギリシャに入国する前からクルーズを予約している人が大半だが、1日クルーズなどであれば、現地に着いてから参加することも可能。

スニオン岬のポセイドン神殿や、エギナ島のアフェア神殿、ディロス島のアポロン神殿などの遺跡群を眺めながら船旅ができるのはギリシヤならではだ。ギリシヤ政府観光局も他では味わえない体験として、クルーズのアピールを続けてきた結果、今や老いも若きも、セレブからバックハッカーまで、参加しやすくなっている。そんな島々を一生の思い出の場所にする企画も人気を呼んでいる。ウェディングだ。青い丸屋根の教会など、まさにギリシヤらしい景観が人気のサントリーニ島では、日本人や中国人カップルの挙式もよく見かける。俳優の石田純一さんが東尾理子さんにプロポーズしたと報じられたミコノス島も挙式やハネムーンに人気だ。

ギリシヤの島が舞台の大ヒットミュージカル「マンマーミーアー」は、メリルーストリープ主演で映画化(2008年)されたことで、撮影が行われたスキアトス島やスコペロス島も、ウェディングやハネムーン人気が急上昇したという。最近、特に中国、韓国人旅行者の間でのウェディング人気が高いのは、テレビでの影響が強いそうだ。後にも触れるが、ギリシヤにはテレビコ了-シャルや映画の舞台として絵になる遺跡などが多い反面、長年、考古学委員会の厳格な規制が障害となって撮影許可をとるのが難しく、敬遠されてきた。しかし近年、文化観光省がハリウッド映画の遺跡撮影に全面的に協力するなど、国をあげてメディアによるアピールを重視したため、積極的に海外メディアのロケも行われるようになり、それが客を呼んでいるわけだ。

この国の夏は雨がほとんど降らず、夜間も月が美しい。8月中句はちょうど日本の十五夜のように月見の習慣がある。毎年8月の満月が輝く週末には、ギリシャ全土の遺跡や博物館が夜間無料開放される。青い月の光に照らし出される遺跡は、昼間とはまた違う幻想的な雰囲気を湛えている。といっても、ただ見せるだけでなく、今ではそれらを利用したイベントが頻繁に行われている。特に6、7、8月は音楽、演劇、現代舞踊、絵画展覧会などさまざまな催しが目白押しのフェスティバルが開催される。

2014年9月6日土曜日

将来を予見する能力

米国の賛成とて、怪しいものである。「拒否権」なしにしろ日本を常任理事国にするということは、話にあかっている他の三国もしなければならない。ところが、ドイツは味方してくれるとはかぎらないことは実証済みだし、インドはともかくブラジルもこの点では同類だ。一人の味方を引き入れる代わりに、敵にまわる可能性少なからずの国を二つも同時に引き入れるほど、米国はお人良しであろうか。そして、ロシアと中国。もしもこの二国も拒否権なしの日本の常任理事国入りに同意するとなれば、それはもうすさまじい代償、つまりカネとの引き換えになる怖れがある。それはどの代償を払ってまで、得る価値をもつ地位であろうか。

「ハイレベル」には悪いが、安保理改革はおそらく今回も現実化しないだろう。改革の鍵をにぎる国々に、改革してトクなことは少しもないからである。ゆえに日本が為すべきことは、血迷ってわれを忘れることではなく、何をどうやればディグニティをもちつつ国連に協力できるかを、冷徹に見極わめそれをやることだと思う。古代のギリシア民族が神話・叙事詩・悲劇・喜劇を通して創造した人間の種々の相は、二千五百年が過ぎた現代でもその適確さをまったく失っていないが、その一人にトロイの王女カッサンドラがいる。

この王女に恋した男神アポロンは、将来を予見する能力を贈物にすることで彼女に迫った。目的はもちろん、ベッドを共にすること。多神教の世界であった古代では、神々といえども人間的なのである。それゆえか、その神の一人に惚れられた人間のほうも、恐縮のあまりに簡単にOKする、などということはない。カッサンドラもアポロンに、決然たる態度でNOと言う。それには怒ったアポロンだが、そこはやはり神、ならば贈物は返せなどと、ケチな人間の男のようなことは求めなかった。贈った予見能力は、以後も彼女がもちつづけることは認めたのである。ただし、ある一事をつけ加えた形で。

それは、カッサンドラがいかに将来を予見し警告を発しようと、人々からは聴き容れられず信じてもらえない、という一事だったのである。トロイは、彼女が予告したとおりに滅亡する。だが、落城時の阿鼻叫喚の中で、誰が、これを早くも予想しそれへの対策を訴えつづけていた王女を思い出したであろうか。予言しても聴き容れてもらえず、それが現実になったときでも思い出してもらえないというのだから、これ以上に残酷な復讐もない。

以後、ヨーロッパでは、現状の問題点を指摘し対策の必要を訴えながらも為政者からは無視されてきた人を、「カッサンドラ」と呼ぶことになる。まるで、有識者や知識人の別称でもあるかのように。これもまた、何かを与えれば別のことは与えないというやり方で、神でも人間でも全能で完璧な存在を認めなかった、いかにもギリシア的な人間観と言うしかない。前回でとりあげた国連改革「ハイレベル」委員会の答申を読んでいて、自然に思い浮んできたのが、日本の政府や省庁が活用しているらしい各種の審議会であった。

2014年8月9日土曜日

大変難しい高度な医療行為

わが国では、本人の了解なしに、本人以外に患者の病名や病状について話してよいということになっているのであろうか。はたして患者の家族、友人、雇い主などに患者の真実を知る権利があるのであろうか。真剣に討議しなければならない問題である。ところで、家族に告知するとした場合に、家族の中の誰に告知するのかというのも、患者本人に聞ける性質のものではないだけに、医師にとって難しい選択である。たとえば、患者の家族の中でなぜかAが頻々と病院に来て医師と親しくなっていたので、医師は、Aに患者の病名や病状を告知したとする。

ところが実は患者は、家族の中で悪巧みをもっているAだけには自分の病気について詳しく知られたくないと、内心決めていたとしたら、知らなかったとはいえ医師は患者が最もしてもらいたくないことをしてしまったことになる。こういう場合、この医師の道義的倫理的な責任はどうなるのであろうか。さらに、もし患者が恐れていたとおりにAが悪巧みを実行して、患者の財産に多大の経済的損害を与えたとしたら、医師の責任はどうなるのであろうか。この想定例のようなことはまれかもしれないが、患者本人の同意なくしてする家族への告知は、原則的には患者のプライバシーの侵害に相当する行為であるので、医師として安易にするべきではないのである。

この解決法の一案として、患者に「あなたの病気について詳しく説明させてもらいたいのですが、私の話をあなたと一緒に聞いておいて欲しいと思う家族の方や信頼されている方に連絡されてご都合を伺って下さい」と患者の意思にまかせるのは、どうであろうか。そして告知をする場合には、担当看護婦に同席してもらい、患者、家族、その他患者の希望する人にわかりやすく説明し、患者にそこに同席した人だちと相談するゆとりを与え、納得してもらうのがよいのではないかと考える。とくに、同席した看護婦には、医師の説明を噛みくだいて繰り返し解説することを期待したい。

誰が、何を、どのように告知するのか、という問題がある。先にも述べたように、告知は、大変難しい高度な医療行為なのであり、担当医であっても臨床の経験の浅い医師が安易にするべきものではない。それぞれの患者には、その人だけがもつ病態や気質があり、さらに場合によって変化する患者の気分、精神状態や感情の起伏など、考慮するべき条件がたくさんあることに十分注意して告知の時期を選ばなければならないであろう。たとえ同じ病名の病気をもつ患者がいても、それぞれの患者の年齢、性別、既往症、発病以来の経過、現在の病状や予後の見込などが同じであるはずは絶対にないのである。それだけに告知の臨床は難しいのである。

2014年7月18日金曜日

バランスのとれた軍縮

イニシァティヴというのは自分のほうがまず一方的に軍縮の口火を切るということですから、それ自体、非対称性をもった行動です。そこで、それに結びついた戦略構造にも非対称性が見られることになります。具体的にはINFの廃棄について、米国側が廃棄を約束したのは八五九ですが、ソ連は約二倍の一七五二を廃棄することに合意した。自分のほうが二倍ぐらいの廃棄をするというのは、これまで長々と主張されてきた「バランスのとれた軍縮」という考え方からすると、かなり型破りです。つまり、バランスとか対称性とは違う発想の芽がここに見られるわけです。

その後、ソ連の側で新しい戦略についていろいろ議論がありましたが、リーズナブル・サフィシェンシー(合理的十分性)という考えが出てきました。米国がミサイルを一つつくればソ連も一つつくる、米国と同じ量持たねばならないというのは愚かなことである、むしろ安全を増大することには何の役にも立だない、もっと違うアプローチをとろうという考え方です。私は、非対称的な防衛にまでいかない限りは、軍縮も進まないし、軍縮の方向での安全保障を確保することもできないという持論を永年述べてきたのですが、そのことが現実に、しかも超大国の一方で行われ始めた。この転換は非常に大きな変化だと思います。

首脳会談が成果を生むようになったことの基礎には、明らかに「新しい思考」による政治的リーダーシップに立脚してイニシァティヴがとられたということがあるわけで、これが一番重要な点なのです。そうでなければ首脳会談を開いても、バランスをとるといった議論に終始して、せいぜい「軍備管理」についてごく部分的に合意することで終わるといった従来のパターンのくり返しに終わったことでしょう。その意味で、米ソ首脳会談のもつ性格が、ゴルバチョフの登場以来変わったと言っていいと思います。

第二次大戦後の核軍縮の失敗の歴史をみながら、それを成功に転ずるためには一方的イェシアティヴこそが最も合理的な選択なのだと強調され、そのための内発的な自己変革が必要だといわれました。いまうかがったソ連の変化には、そのことがはっきりとみられるように思います。モスクワの首脳会談で夕食会でのあいさつの中でもゴルバチョフ書記長は、最初に「武器とははたして必要なものだろうか」という呼びかけをしています。これまでの超大国の首脳の発言にはみられなかった発想の転換が感じられます。

すでに七〇年代の終わりごろから、先生は、ソ連は変わりつつある、と私に話しておられましたが、国家と社会の二元化という形でソ連型市民社会の形成が進みつつあると話されたこともあります(『世界』一九八六年一月号)。ペレストロイカの現状にかかわってどのようにみていらっしやるか、うかがえるとありがたいのですが。ソ連経済が非常に悪化してきているために軍縮をいわざるをえなくなったのだという意見です。たしかにソ連経済が、ソ連の指導者にとってもコントロール不能な状態になっていたという面はあります。しかし、私は経済が悪くなったから軍縮を言い出したという議論は、素朴唯物論的で、単純すぎると思います。それは二つの点からです。

2014年7月4日金曜日

公益信託の仕組みとその実例

たとえば学校とか図書館、美術館などの設備を持ち、専門の人をおいて管理運営するいわゆる事業執行型の公益活動には公益信託はあまり向かないが、各種の公益活動に助成金、奨励金などを支給する財産給付型のものには適しているということになり、総理府が中心となって公益信託の認可基準を各省庁に示し、これに準拠してその受託が実現することになりました。

もっとも、公益活動を伴う公益信託は、英米では盛んに行われており、アメリカでは信託と法人とが半々ぐらいのようで、イギリスでは信託が普通ともいわれています。シェークスピアの生家を保存している記念館も信託財産といわれますが、将来、わが国にこれに似たものができるのも夢でないかも知れません。

公益信託の仕組みは図7の通りですが、信託の関係人について若干の説明をつけ加えましょう。まず主務官庁ですが、信託目的によって、たとえば厚生省とか文部省とか、あるいは地方自治体などとなります。公益法人と違って公益信託は、これら各省庁のほか、当然ながら大蔵省の監督も受けます。信託運営委員会は公益法人ではいわば理事会や評議員会などに相当するものです。

公益(信託)目的を円滑に遂行するために、たとえばそれが学術奨励のためならば、どういう研究をしているどの人に助成金を交付すべきかなどについて意見を述べ勧告を行う立場です。また信託管理人は、受益者が現在確定できない人であるために設けられているもので、将来の受益者保護のために主として受託者の行う信託財産の収支など重要事項について承認を与えます。つまり、前者は信託目的について、後者は信託財産の管理運用についての役割を担っているわけです。

なお、年金信託や財産形成給付金信託なども受益者は信託受託のときに確定していませんが、加入者は会社の従業員の内であることは明らかなのに対し、公益信託は信託目的にふさわしい人ならばそのような制限はないのです。また同じ公益的目的のためでも、初めから受益者を特定している場合は、公益信託とは認められません。すなわち、将来の不特定多数の受益者のための公益目的の信託がその特徴といえましよう。

2014年6月19日木曜日

農業機械、化学肥料、農薬などの価格の変遷

この精神を受けて打ちだされたのは、要するに、農業余剰の国家への吸引システムを廃棄することによって農業余剰の農村内留保を図り、もって旧来の政策の根幹を変革しようという試みであった。その概略は、以下の二つにまとめられる。

一つは、国家の農産物買上価格を引き上げ、逆に農民の利用する農業投入財価格を引き下げ、つまりは「農家交易条件」の改善を通じて農業余剰を農村内に留保することであった。三中総決定により、食料の統一買付価格を一九七九年夏季の出荷時以降、二〇%引き上げ、超過供出分については引上げ幅をさらに五〇%増とした。経済作物や副業生産物の買上価格もまた、順次引き上げられた。

対照的に、農業機械、化学肥料、農薬などの価格は、一九七九~八〇年に十〇%から一五%の幅で引き下げられることになった。この農家交易条件の改善を通して「価値法則」によるところのシェーレがどの程度縮小したのかは、不明である。しかし、生存維持的水準を上まわる余剰のほとんどすべてが国家に吸引されて貧困にあえいできた農村の姿が変化したことは、まぎれもない。買上価格の引上げは、あとで述べる「農業生産請負制」の普及とあいまって農民の増産意欲を強く刺激し、そうして一九七九年以降、農民所得水準は新中国の建国以来、最高の高揚をみせたのである。

二つには、農産物買上価格が引き上げられたばかりではない。国家統一買付の品目と数量をしだいに減少させるという方向も選択された。農民が自由市場においてより高い価格で販売しうる農産物の品目と数量を増大させたのであり、これによって意欲ある農民層に留保される農業余剰は大きいものとなった。

この面での画期的な変化は、一九八五年一月に国務院によって通達された新価格・流通政策であった。新政策により食料と経済作物に関する長年の国家統一買付制度の機能はいっきょに弱まり、かわって契約買付制度が一般的となった。野菜、肉類などの副食品については、これを完全に自由流通制度にまかせることになった。契約買付制度とは、国家が農民とのあいだで結んだ播種前契約にもとづき、市場実勢価格により農産物を買い上げる、という新制度のことである。強制買付制度を根幹とする、第一次計画以来、長らく強力に維持されてきた農産物に対する国家支配力は、いちどきに弱いものとなった。

2014年6月5日木曜日

関係者の制限

信託は、ただ単に信託契約を取り交わすなり、遺言で信託を指示しておいただけではだめで、それらの契約なり遺言にもとづいて信託する財産を受託者に引き渡すことが必要です。これが信託と代理との違うところです。同じ財産の管理を頼んでも、代理ですと財産をその代理人に引き渡すことはせず、ただ一定の範囲内のことを持ち主に代わって行うだけですが、信託はある目的が決まっており、受託者はその目的にそって運用するため、いったん財産を自分のものとするのです。

このため受託者は、もとから自分の持っていた財産(これを固有財産といいます)と信託財産を一緒にすることは許されず、自分の財産と区別して管理、運用しなければなりません。AとBといった二人の人から信託を受けたときも同じです。これを信託財産の分別管理といいます。そして信託財産の区別をはっきりさせるために、登記とか登録とかができるものは、これを表示するのが原則です。

たとえば、土地建物などの不動産には登記をし、また株券や社債などの有価証券も発行会社に備え付けの株主名簿や社債原簿にその旨の記入をすることが必要です。このような信託財産の表示がしてないと、信託に関係のない第三者から何か文句が出たときに、これが信託財産であるといって争うことができません。

この表示のやり方は信託法で定められたものに従うことになっていまナが、金銭その他の動産で表示について適当の方法がないものは表示の必要がありません。なお、有価証券の信託で、その出し入れが頻繁な場合には、委託者と受託者との話し合いで表示を省くことがあります。ただ、信託表示をしない場合でも、信託財産か、受託者の固有財産か、それぞれの計算がはっきりわかるようにしなければなりません。

信託の関係者は、これまで述べたように委託者と受託者と受益者ですが、未成年者、禁治産者(精神障害のため自分の行動の結果について判断する能力のないものなど)、準禁治産者、破産者は受託者となることはできません。それは、これらの人々は財産を運用するのにまだ一人前でないとか、そのほか適当でない面があるからです。委託者には一般的な行為能力があればよく、そのほかには別に制限はありません。

なお遺言信託では、遺言をするときに遺言能力があればよいことになります。受益者の場合は、受益権発生のときに権利能力があればよいので、これから生まれてくる子供といったように、今いない人でも指定することができます。そして委託者が自分を受益者としてもいいわけで、近ごろは自分で財産の運用を頼んで自分がそこからあがる利益を受け取る、といった型の信託がほとんどです。

2014年5月23日金曜日

変数の影響

成功の秘訣は実験群だけを独立変数の影響の下に置くのである。この場合二つの集団を等質にするためには、無作為化(randomization)といって、硬貨を投げて抽選をするように、無作為に被験者を選んで二つの集団に配分する方法がある。またマッチング(matching)といって重要な変数、たとえば知能指数と年齢を考慮して、人為的に等質な集団を作る方法もある。二つの方法を組み合わせればより確実に等質な集団を作れるだろう。これらの方法をとる理由は例えば実験群に、高学歴者が集中するような場合が生じると、教育水準の影響によって実験の結果がゆがんでくるからである。

言いかえれば、「等質」な集団を作るというのは、例えば教育水準、知能、職業、年齢、出身地あるいはわれわれの気づかない、その他の変数に関して、同じような特徴を持っている集団を、二つ作ることである。もし二つの集団が「等質」であるならば、両集団の態度における差は一にかかって独立変数の有無によると、結論できるからである。

さて実験的方法の典型的な手続きを「イギリスの闘い」の例に従って述べると、まず実験群においては、フィルムを見せる前と後とに態度の測定を行う(馬)。そうすれば、実験群における態度の変化は、事後の態度測定値(民)から事前の測定値(瓦)を引くことによって得られる。そしてこの態度の変化は「フィルムの効果」と「他の変数の影響」との和に他ならない。これに対して同様の方法によって得た統制群における態度の変化には、「フィルムの効果」が含まれていないから、当然「その他の変数の影響」だけによって生じた変化ということになる。

ここまで来れば純粋の「フィルムの効果」を引き出す算術は簡単である。実験群における変化から、統制群の変化を引けばよいのである。言うまでもない。実験群における変化は「フィルムの効果」と、「他の変数の影響」の和であった。これに対して統制群の変化は、「他の変数の影響」だけによるものであった。しかも実験群と統制群とが無作為化の方法によってほぽ同質の集団であれば、両者における「他の変数の影響」は、実質的に等しくなる。従って実験群における変化から統制群における変化を引けば、「フィルムの効果」だけが残ることになる。

2014年5月2日金曜日

わが国だけの現象

渋谷で、不倫反対デモというのに出会ったが、ああいうデモもあるのだ。不倫反対だの、援助交際反対だの、そういったプラカードを立てて行列していた。小学生ぐらいの子にプラカードを担がせ、その手をひいていた母親もいた。あれは、どういう団体なのか。プリンバンダイと叫ぶでもなく、ただぞろぞろと歩いていたが、デモも、いろいろとあるもんだ。

江戸時代、中国人を唐人と言った。後に、中国人だけでなく、他の外国人も唐人と言うようになったが、毛唐は毛むくじやら唐人のこと、つまり欧米人のことで差別語である。今はもう、毛唐などという差別語を使う人はいないが、私は、茶髪の人たちを、ニセ毛唐さんと呼んでいる。これも差別語であろう。私には、どこの国の人であれ、外国人を差別する気持はまったくない。しかし、欧米人の真似をする日本人を、情けなく思う。

背広を着て、ネクタイを締めて、靴をはいているのだって、もとは欧米人の真似である。だからといって、洋服を着て、靴をはくことまで情けないとは思わない。それに、服装だの、髪形だのは個人の自由である。学生は校則にしばられるということもあるだろうし、組織のルールや常識で人をしばる。しかし、それが許されるところなら、頭髪の色など、金色にしようが、緑色にしようが、本人の自由である。だがそれを見て、ニセ毛唐さんぶりを笑うのも、情けないと思うのも、自由である。

大衆が流行に乗って一様になるのは、もちろん、わが国だけの現象ではない。それは、どこの国にも、どの民族にもあることだろう。けれども、日本人のそれは、どこの国、どの民族にもまして、速くて、広がりが大きいもののように思える。組織にしばられると素直に一様になる。戦争中、国の指導者がスローガンを掲げ、号令をかけると、国民はこぞってその指導に応じ一様化したが、戦争に負けて、それまでの指導者が追放され、さあこれからは民主主義だ、個人主義だ、自由だ、と言われても、やはり、一様化する。

私の仕事部屋のある東京青山の表参道。部屋を一歩出ると、通行人があまりにも一様化しているので、うんざりする。ケイタイデンワを握り、リュックサックを背負い、頭髪の色を変えたニセ毛唐さんたちの群れ。なんと、お婆さんまで、頭髪を黄色に変え、リュックを背負って歩いている。

2014年4月17日木曜日

国営工商業部門の利潤上昇

郷鎮企業の登場によって「農業と近代産業とのあいだの二元的な循環が突破されはじめ。相互に交流し、相互に促進するというよろこぶべき局面があらわれた」という、中国経済学者の表現は、的確である。郷鎮企業は、「強蓄積」メカニズムのもとで中国が整備しそこねてきた農工間の連関を創出し。中国経済をひとつの有機体たらしめる重要な役割を演じている。

人民公社制度により農業余剰を権力的に搾り取り、これを重工業投資にふり向けることによって形成されてきた強蓄積メカニズムと、それに由来する歪んだ二重構造を是正する契機が、ここに生成したのである。一九七八年の第一一期三中総の決定以降における右に述べてきた中国経済の動態が、その蓄積メカニズムにどのような変化を与えたのかを、いくつかのマクロ指標のなかに観察してみよう。

第一次五ヵ年計画の開始以来、中国の蓄積メカニズムの起点にあったのは、なんども指摘してきたように、食料の低価格強制買付けならびにシェーレを通じての農業余剰の国家吸引であった。しかし前者は、一九七八年以降の国家食料買上価格の引上げならびに強制買付の量と品目の減少を通じて、その機能は明らかに弱まった。後者のシェーレはどうか。

現在における「企業収入」が国営工商業部門の利潤上納部分である。これと工商税収を合わせた分か、同図にみられるように第一次計画以来、一九七八年まで国家財政収入のほとんどを占めてきた。これが、シェーレを通じて国家に移転された農業余剰を「体系化」したものであったことは、すでに示唆した通りである。ところで、この上納利潤と工商税収の合計が財政収入総額に占める比率は、一九七九年以降にわかに減少を開始していることがわかる。その減少は明らかに企業上納利潤の急減に由来する。

企業上納利潤の減少は、一九七九年以来の経済体制改革の過程で進められた企業自主権拡大の帰結である。国営企業利潤の一定比率を企業内に留保させる「利潤留成」、さらには上納利潤額を事前に設定してこれを企業に請け負わせる「利潤請負」を経て、一九八四年以降、利潤上納を納税制に全面的にきりかえる「利改税」が採用された。企業収入項目の急落傾向は、なによりもその帰結である。対照的に、工商税収はそのシェアを高めた。