2015年8月7日金曜日

同期生の家庭環境

私は自分に納得のいく仕事をするために外務省を選択した、という安心感は、その後、外務省に入ってからも、そして、その職業を離れたいまでも、私の精神的安定剤として働いてきた。

仮に外交官選択の動機が華やかさを求める若気にあったとしたら、大学の友人が心配してくれたように、おそらく挫折していたのではないかと思う。外務省という職場で経験した仕事の中身こそが、私のような性格の人間でも、二十五年間も外務省で働くことができた最大の魅力なのである。

本来なら、外交官を網羅してその家庭環境を分類してみることができたら、と思う。しかし、そのようなことをするために必要な資料は持ち合わせていない。ここでは、それに代わるものとして、私の同期生(私を含めて一七人)について若干の点を指摘して、「華やかさ」にまつわる一般的イメージの誤解を解いておこう。

同期生の中で、外交官「二世」「三世」であった者(つまり、父親さらには祖父が外交官だった者)は二人いた。しかし、その他の一五人の家庭環境は、それほど目を見開くようなものではなかったと思う。なかには、私が現在ももっとも個人的に尊敬してやまない者のように、両親が居らず、妹の面倒をみるために学問の世界への道を断念して外務省を選択した人もいたし、高校卒業後いったん就職し、その後、東大に入り直して外務省に入ってくるという猛者もいた。

本人の家庭環境を補うものとして、通俗的な刊行物でよく取り上げられるのが、妻になる人の家庭環境である。しかし、私はこういう方面のことにはまったく関心がない。外務省に入ったときに既に結婚していた同期生も数人いて、研修旅行のとき、その中の一人が髭を剃りながら、「こうして顔を郷める図は、とてもワイフには見せられない」といったことが、妙に記憶に残っている程度である。