2013年8月28日水曜日

最強の観光資源はオバアだ

仕入れた魚を売ったりする市場を「マチグワー」というが、たいていの観光客は牧志公設市場を思い浮かべるだろう。それもそうだ、観光パンフにも書いてあるし、テレビで紹介される沖縄の市場といえば、牧志公設市場と相場が決まっているからだ。私もよく利用させていただいた。とくに市場の二階にある食堂は、安くてうまくて新鮮で、貧乏取材にはぴったりだった。ただ、同じ市場でも、私か好きなのは糸満ロー・タリーの近くにある「あんまー魚市場」や「糸満市中央市場」だ。いつ行ってもオバアたちが元気で、かまびすしく、そしてやさしい。

「あんまー魚市場」の「あんまー」はお母さんという意味だ。かつてバーキ(龍)に魚を入れて売り歩いたアンマーたちがっくったから「あんまー魚市場」なのだろう。ミーバイやグルクンといった魚が並べられていて、頼めばその場で刺身にしてくれる。ただ、牧志公設市場のように観光化されていないから、無愛想でとっつきにくい。だけど、ほんとうはすこぶる親切で、つまらないことでも尋ねたら、面倒くさそうな顔をしながら懇切丁寧に教えてくれる。戦前には糸満からフィリピンに渡航した人が多かった。フィリピンに渡って戻ってきた人たちを、当時は「フィリピン帰り」といったが、拙著『ナツコ』の主人公もフィリピンに渡っだので、もしやナツコを知っているのではと思って探したことがあった。

しかし、そんな大昔のことなど誰に聞いても知らぬ存ぜぬで、完全に行き詰まってしまったときだ。糸満ロータリーのすぐそばに住む秀オバアにそのことを言うと、「あい、ついてきなさい」と市場に連れて行ってくれ、市場のアンマーたちにあれこれ指示すると、あれよあれよという間に「フィリピン帰り」を探してくれたのである。そのとき、骨を折ってくれたオバアからグルクンを買ったのだが、なんとそのオバアは刺身にしてくれたうえ、さらに魚汁にして食わせるから家に来いという。これが糸満アンマーたちの心意気なんだと思う。一般的に糸満の男性は無骨で寡黙で無愛想だ。漁師だから、これはまあ当然といえば当然だが、その妻である糸満アンマーたちはその逆で、八〇歳を超えても見るからに元気いっぱいだ。

昔は一三歳の成人式の祝いをすませると、糸満の女性はワタクサー(私財)が認められたという。へそくりと説明している書物もあるが、成人して「カミアチネー」と呼ばれる魚行商の商人になった彼女たちが、儲けたお金を貯金しておく財布のことである。彼女たち一人ひとりが商人だから、儲けるためには必死に頭を回転させた。それが今も彼女たちを元気にさせるのだろう。首里城を見るのもいいが、マチグァーで彼女だちと値段の交渉をしてみるのもいい。かまぽこ一枚だからと遠慮することはない。オバアたちも「ゆんたく」(おしゃべり)を心待ちにしているのだ。この糸満アンマーがいるから、私は糸満が大好きなのだ。彼女たちは最強の観光資源だと思う。

沖縄のよさを伝える民宿ホテルをつくれ沖縄北部のある市町村の職員から、第三セクターでホテルを建てたいが、どんなホテルがいいか、意見を聞きたいと言われたことがあった。べつに私は建築家でもないし都市デザインを専門にしているわけでもないから、個人的意見としてこう答えた。近在に人の住まなくなった民家がたくさんある。それらを移築して古民家群の宿泊施設をつくってはどうか。読谷に「琉球村」という観光施設があるが、あれを想像していただければいい。「琉球村」は宿泊できないが、新たにつくる古民家群は、実際に泊まることができる。ただし、民家を活用するが、宿泊客用に全面改装する。