2016年3月7日月曜日

訴訟による解決の必要性

自民党の司法制度調査会報告書に「平和的な解決」というマジックーワードがありましたが、考えてみれば、「訴訟による解決は平和的でなく、それ以外の解決の方が平和的だ」というのは、本来は話が逆です。

「二割司法」のところでも説明したように、今の日本では、法や裁判によるのではなく、暴力や実力(政治力を含む)による解決を許してしまっていることが問題なのです。

もともと現代の裁判制度は、暴力や実力によらないで、知性と理性と説得によって平和的に紛争を解決するための道具です。自力救済が禁止され、むき出しの力での権利実現を許さないのも、あくまでも平和的に、訴訟制度を使って解決しなければならないことにしたからです。

本来平和的な訴訟制度を使わないで、もっと別の平和的な手段を使えというのは、「まともでない人びと」には通用しません。本当の強者は、法による強制力に頼らないで自分で人を動かすことができるので、元来、あまり法や裁判による保護だとか権利の実現を必要とはしないものなのです。

場合によっては政治力を動員できますし、直接的に暴力を使うこともあり得るわけで、それで本来の正義が曲げられてしまうわけです。ただ、自力救済が禁止されているので、しぶしぶ裁判という面倒な方法を使います。

また、強者にとっては、時に裁判制度が、外部の攻撃から守る堅い鎧の役割を果たしてくれますから、まんざらでもないと思っているのでしょう。本当に困った問題です。