2012年8月1日水曜日

ルーズベルトとニューディール

著名な民主党の大統領フランクリン・ルーズベルトは、一九二九年の経済恐慌をきっかけに国民の間に高まった共和党政権批判を背景にして、三三年に大統領に就任した。当然その一連の政策は、厳しい企業規制が中心となった。経済恐慌を引き起こしたのは、利益にのみこだわったアメリカの私企業の活動が原因であったとされたからである。

ルーズベルトの一連の政策をニューディールと称するが、この総称のもとで、企業規制のためのさまざまな政府機関が設立された。崩壊した株式市場の規制のためには証券取引委員会(SEC)ができたし、国民の重要な通信手段である放送事業を管理するためには連邦通信委員会(FCC)が、海運業の監督のためには合衆国海事委員会(USMC)が設立されるといった具合に、経済活動の多くの側面に政府の規制の手がおよぶことになった。

このような行政委員会がワシントンにあふれただけではなく、すべての委員会は英語の頭文字だけからなる略称で呼ばれたから、「ニューディールとはアルファベットスープである」などといわれたのもこのころである。

当時もいまも、企業の経営者などを主な読者とするアメリカのビジネス雑誌「フォーチュン」誌は、その当時の新しいアメリカの状況を指して、リンカーンの言葉をもじりながら次のように嘆いた。

政府がみずから企業の自由な活動を禁止するようになったこの国は、すっかり変わりはててしまった。これはもはや国民のための政府などではない。これは委員会による委員会のための委員会に属する政府だ。
ルーズベルトは行政委員会の設立のほかにも、勤労者の保護のための立法措置を講じたり、国家による農作物の買い上げ制度を実施して、農民の保護にあたった。あるいは、基幹的な産業を国家の強い規制のもとにおいただけではなく、連邦政府もみずから生産活動にのり出している。

テネシー渓谷公団がその最も代表的な例だが、政府はダムを建設して電力をつくっただけではなく、その電力を利用して肥料生産にまで手を出した。そうしてテネシー渓谷一帯の貧しい農民を救済しようとした。