2014年11月7日金曜日

どこかしこも問題の先送り

訴えてくるのは氷山の一角ですが、それさえ抑え込めば、その背後にある何百、何千、何万のケースが抑えられることもあります。訴えが殺到するのは異常事態なのだから、なんとか事前に食い止めようということにはとても敏感で、そんなところで裁判官は、「自分が社会の秩序を維持する正義の味方だ」と思っているのかもしれません。

弁護士においても、なるべく違法なことがないように物事を解釈しようとする人がいます。「違法だとしたら、今までやっていたこともすべて違法になるから、それはおかしい」といった本末転倒の思考がときどき出てきます。本当はその考え方こそおかしいのですが、「それが実務というものなのだ」と言わしめているのが、合法的解釈に長けた「裁判実務的思考」にほかなりません。

結局、「問題かおりそうでも、なるべく問題はないに越したことはない」という気持ちがさらにオーバーランして、「問題があっても、ないことにしよう」という方向に走りがちになります。「法律違反があったかどうかは別として」などといって、とにかく事件を処理することだけが目的となり、問題を闇から闇に葬るテクニックやシステムが確立しているわけです。

本当に問題がなければそれでも良いのですが、臭いものに蓋をしているだけで、実際に問題があることには変わりかおりません。単に深刻な現実から目をそらしているだけなのです。それでも、「問題が認識されていなければ問題がないのと同じだよ」という結論だけ聞かされて、むりやり安心させられているのが日本国民のようです。