たとえば学校とか図書館、美術館などの設備を持ち、専門の人をおいて管理運営するいわゆる事業執行型の公益活動には公益信託はあまり向かないが、各種の公益活動に助成金、奨励金などを支給する財産給付型のものには適しているということになり、総理府が中心となって公益信託の認可基準を各省庁に示し、これに準拠してその受託が実現することになりました。
もっとも、公益活動を伴う公益信託は、英米では盛んに行われており、アメリカでは信託と法人とが半々ぐらいのようで、イギリスでは信託が普通ともいわれています。シェークスピアの生家を保存している記念館も信託財産といわれますが、将来、わが国にこれに似たものができるのも夢でないかも知れません。
公益信託の仕組みは図7の通りですが、信託の関係人について若干の説明をつけ加えましょう。まず主務官庁ですが、信託目的によって、たとえば厚生省とか文部省とか、あるいは地方自治体などとなります。公益法人と違って公益信託は、これら各省庁のほか、当然ながら大蔵省の監督も受けます。信託運営委員会は公益法人ではいわば理事会や評議員会などに相当するものです。
公益(信託)目的を円滑に遂行するために、たとえばそれが学術奨励のためならば、どういう研究をしているどの人に助成金を交付すべきかなどについて意見を述べ勧告を行う立場です。また信託管理人は、受益者が現在確定できない人であるために設けられているもので、将来の受益者保護のために主として受託者の行う信託財産の収支など重要事項について承認を与えます。つまり、前者は信託目的について、後者は信託財産の管理運用についての役割を担っているわけです。
なお、年金信託や財産形成給付金信託なども受益者は信託受託のときに確定していませんが、加入者は会社の従業員の内であることは明らかなのに対し、公益信託は信託目的にふさわしい人ならばそのような制限はないのです。また同じ公益的目的のためでも、初めから受益者を特定している場合は、公益信託とは認められません。すなわち、将来の不特定多数の受益者のための公益目的の信託がその特徴といえましよう。
2014年7月4日金曜日
2014年6月19日木曜日
農業機械、化学肥料、農薬などの価格の変遷
この精神を受けて打ちだされたのは、要するに、農業余剰の国家への吸引システムを廃棄することによって農業余剰の農村内留保を図り、もって旧来の政策の根幹を変革しようという試みであった。その概略は、以下の二つにまとめられる。
一つは、国家の農産物買上価格を引き上げ、逆に農民の利用する農業投入財価格を引き下げ、つまりは「農家交易条件」の改善を通じて農業余剰を農村内に留保することであった。三中総決定により、食料の統一買付価格を一九七九年夏季の出荷時以降、二〇%引き上げ、超過供出分については引上げ幅をさらに五〇%増とした。経済作物や副業生産物の買上価格もまた、順次引き上げられた。
対照的に、農業機械、化学肥料、農薬などの価格は、一九七九~八〇年に十〇%から一五%の幅で引き下げられることになった。この農家交易条件の改善を通して「価値法則」によるところのシェーレがどの程度縮小したのかは、不明である。しかし、生存維持的水準を上まわる余剰のほとんどすべてが国家に吸引されて貧困にあえいできた農村の姿が変化したことは、まぎれもない。買上価格の引上げは、あとで述べる「農業生産請負制」の普及とあいまって農民の増産意欲を強く刺激し、そうして一九七九年以降、農民所得水準は新中国の建国以来、最高の高揚をみせたのである。
二つには、農産物買上価格が引き上げられたばかりではない。国家統一買付の品目と数量をしだいに減少させるという方向も選択された。農民が自由市場においてより高い価格で販売しうる農産物の品目と数量を増大させたのであり、これによって意欲ある農民層に留保される農業余剰は大きいものとなった。
この面での画期的な変化は、一九八五年一月に国務院によって通達された新価格・流通政策であった。新政策により食料と経済作物に関する長年の国家統一買付制度の機能はいっきょに弱まり、かわって契約買付制度が一般的となった。野菜、肉類などの副食品については、これを完全に自由流通制度にまかせることになった。契約買付制度とは、国家が農民とのあいだで結んだ播種前契約にもとづき、市場実勢価格により農産物を買い上げる、という新制度のことである。強制買付制度を根幹とする、第一次計画以来、長らく強力に維持されてきた農産物に対する国家支配力は、いちどきに弱いものとなった。
一つは、国家の農産物買上価格を引き上げ、逆に農民の利用する農業投入財価格を引き下げ、つまりは「農家交易条件」の改善を通じて農業余剰を農村内に留保することであった。三中総決定により、食料の統一買付価格を一九七九年夏季の出荷時以降、二〇%引き上げ、超過供出分については引上げ幅をさらに五〇%増とした。経済作物や副業生産物の買上価格もまた、順次引き上げられた。
対照的に、農業機械、化学肥料、農薬などの価格は、一九七九~八〇年に十〇%から一五%の幅で引き下げられることになった。この農家交易条件の改善を通して「価値法則」によるところのシェーレがどの程度縮小したのかは、不明である。しかし、生存維持的水準を上まわる余剰のほとんどすべてが国家に吸引されて貧困にあえいできた農村の姿が変化したことは、まぎれもない。買上価格の引上げは、あとで述べる「農業生産請負制」の普及とあいまって農民の増産意欲を強く刺激し、そうして一九七九年以降、農民所得水準は新中国の建国以来、最高の高揚をみせたのである。
二つには、農産物買上価格が引き上げられたばかりではない。国家統一買付の品目と数量をしだいに減少させるという方向も選択された。農民が自由市場においてより高い価格で販売しうる農産物の品目と数量を増大させたのであり、これによって意欲ある農民層に留保される農業余剰は大きいものとなった。
この面での画期的な変化は、一九八五年一月に国務院によって通達された新価格・流通政策であった。新政策により食料と経済作物に関する長年の国家統一買付制度の機能はいっきょに弱まり、かわって契約買付制度が一般的となった。野菜、肉類などの副食品については、これを完全に自由流通制度にまかせることになった。契約買付制度とは、国家が農民とのあいだで結んだ播種前契約にもとづき、市場実勢価格により農産物を買い上げる、という新制度のことである。強制買付制度を根幹とする、第一次計画以来、長らく強力に維持されてきた農産物に対する国家支配力は、いちどきに弱いものとなった。
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