2015年1月10日土曜日

結婚の習俗

内部の装飾が奇抜なのが、インド西部、パキスタンに近いグジャラート州力ッツチ地方に住む民族集団ラバリの家だ。白っぽい土壁に草葺きかスレート屋根という外見はそう印象的なものではないが、なかに入ると部屋の壁一面に幾何学的な浮彫り模様が施され、随所に色ガラスや む小さな鏡が埋め込まれている。

ラバリの女性はサリーではなく、腹掛けのように背中の開いた上衣と、ロングスカートに、頭から足元まで垂らした布で背中を隠す独特の衣装を身に着けるが、とくに、たくさんの小さな鏡を色とりどりの刺繍糸で縫い止めるミラーワークという技法を使った子供服や成人女性のハレの衣装は、それは華やかなものだ。このミラーワークが住まいにも使われているわけで、きらびやかな内壁を造るのはもちろん女性の仕事となっている。

ヒトは生まれ、第二次性徴期を経て生殖し、やがて死ぬ。生物としてはそれだけのことだが、人間社会はその自然の営みをさまざまに解釈し、儀礼をおこなう、という文化を育んできた。二○世紀はじめにフランスの人類学者ヴァンージェネップは、誕生、成年、結婚、死といった人生の節目にともなう儀礼を、通過儀礼という用語で説明した。通過儀礼の「通過」とは、人間がある社会的身分から次の身分へと段階的に移行することをいう。

通過儀礼は基本的に、個人は「死」という形式を経て、新たに生まれ変わるという、世界の習俗に広くみられる概念に注目するものである。成年式や宗教集団への加入式など、とくにイニシエーションとよばれる種類の儀礼では、ある時間ないし期間、当事者を隔離して試練が課されたり、死と再生を象徴する儀式がおこなわれたり、新しい服飾や名前が与えられるなど、多くの社会でかなりの共通性が見られると、一般的にはいわれる。

もっとも日本では、この種の儀礼は昔からどうも印象が薄い。七五三、十三参りや元服式などの成年式が日本のイニシエーション儀礼の代表だが、着物や髪形を変え、とくに成年式では禅や腰巻き、女子なら鉄漿(お歯黒)を初めてもちいるというような装いに関する習俗が中心で、割礼その他の身体的な加工や厳しい試練が儀礼に組み込まれることはあまり一般的ではなかった。

2014年12月8日月曜日

内発的発展史の視角

『東アジア資本主義の形成上比較史の視点から』東アジア資本主義の現状分析によってのみこの「成長センター」のダイナミズムを究明しようという、昨今「はなやか」な、しかし「短絡的」なやり方への不満にある。東アジア資本主義が今日を築いてきたのであれば、そこにはそれだけの内在的な歴史があったはずであり、これを比較史的な方法から導出すべきだ、というのが本書の研究スタンスである。そうした研究の端緒はすでに浜下武志氏や川勝平太氏などによって開かれていたが、本書のような共同研究の成果が公刊されたことは喜ばしい。

東アジア資本主義は従来の欧米中心の経済理論では、開発経済学であれ、近代化論であれ、はたまた従属論であれ、これを十分に解明できないと中村哲氏はいう。それらに代わる理論的仮説を氏がここで提起しているわけではないが、少なくとも次の四つは新理論構築のための要件であるという。一つは、経済を社会、政治、文化等と関連させて捉えること。二つは、東アジアの各地域、民族、国家の主体性を組み入れた理論であること。三つは、歴史的観点に立った国際比較。四つは、東アジア地域の全体像の把握、である。

本書を通読して、とくに私の関心を誘ったのは第二の視角、すなわち中村氏のいう「非欧米の視点」から周辺部を眺めることの重要性である。従来の世界資本主義論は周辺部の搾取・収奪・被支配の面からこれを論じるのがつねであったが、それでは東アジアの現在の発展は説明できないという至極もっともな観点がここで提供されている。

中村氏の議論を補強しているのが、堀和生氏の秀逸な論文「植民地の独立と工業の再編・台湾と韓国の事例」である。ここでは、植民地支配期においてすでに朝鮮、台湾では資本主義的生産様式が支配的であり、それがゆえに帝国主義勢力・日本との関係断絶後も、少なからぬ変動をともないながらも、はやくも一九五〇年代に新たな発展軌道を両者が見出し得たことを明らかにしている。ある種の「内発的発展論」であろうか。

宮島博史氏の「東アジアにおける近代的土地改革―旧帝国支配地域を中心にして」では、韓国、台湾の経済発展の基礎となったのが両地域における近代的土地制度の短期における徹底的な施行にあったと主張されている。その施行を可能ならしめた東アジアの要因を、氏はこの地域が小農社会であったことに求めている。

すなわち東アジアが独立した上地経営を旨とする小農から構成され、それゆえ個々の上地に対する権利関係が比較的明瞭であったがために、土地領有権という上部構造さえ取り除かれれば、旧来の上地関係がそのまま認定されるという構造にあったという。面白い指摘である。しかし、近代的土地所有関係の変革が資本主義的発展につなかっていく経緯はなお究明されていない。