2014年10月7日火曜日

遺跡で「古代ギリシャ劇」

私自身の体験からは、島々を中心とした観光地全般の町づくりがよいことを挙げたい。島では、どの辺りに景色のよい展望台や見所があるのか、どこを目指して行けばよいのかだいたい決まっている。特に小さい島なら船が着く港町と、修道院や城が頂上に築かれ広場や繁華街が広がる城砦型の町のふたつに見所が集中しているという特徴に手を加えていないのだ。主要ビーチには決まって路線バスが出ている。そのままの町並みを保存することで、観光客は地図やガイドブックを持たずとも、気軽に散策できる。その心地良さは、安心感や満足感につながっていく。

ギリシャ観光の最後の要素は、各々の観光地が見るだけに留まらない魅力作りをしていることだ。まずはギリシャの旅として代表的なスタイルのひとつ、クルーズの例からお話ししていこう。クルーズは地中海に浮かぶ島々のリゾート地を船で巡るもので、様々な種類がある。盛装して優雅にディナーやダンスを楽しむ豪華な客船から、食事の回数や停泊先の島でのツアーの有無がオプション形式になっている気軽なものまで自由に選ぶことができる。日数や船の大きさも好みのものを選べばよい。ギリシャに入国する前からクルーズを予約している人が大半だが、1日クルーズなどであれば、現地に着いてから参加することも可能。

スニオン岬のポセイドン神殿や、エギナ島のアフェア神殿、ディロス島のアポロン神殿などの遺跡群を眺めながら船旅ができるのはギリシヤならではだ。ギリシヤ政府観光局も他では味わえない体験として、クルーズのアピールを続けてきた結果、今や老いも若きも、セレブからバックハッカーまで、参加しやすくなっている。そんな島々を一生の思い出の場所にする企画も人気を呼んでいる。ウェディングだ。青い丸屋根の教会など、まさにギリシヤらしい景観が人気のサントリーニ島では、日本人や中国人カップルの挙式もよく見かける。俳優の石田純一さんが東尾理子さんにプロポーズしたと報じられたミコノス島も挙式やハネムーンに人気だ。

ギリシヤの島が舞台の大ヒットミュージカル「マンマーミーアー」は、メリルーストリープ主演で映画化(2008年)されたことで、撮影が行われたスキアトス島やスコペロス島も、ウェディングやハネムーン人気が急上昇したという。最近、特に中国、韓国人旅行者の間でのウェディング人気が高いのは、テレビでの影響が強いそうだ。後にも触れるが、ギリシヤにはテレビコ了-シャルや映画の舞台として絵になる遺跡などが多い反面、長年、考古学委員会の厳格な規制が障害となって撮影許可をとるのが難しく、敬遠されてきた。しかし近年、文化観光省がハリウッド映画の遺跡撮影に全面的に協力するなど、国をあげてメディアによるアピールを重視したため、積極的に海外メディアのロケも行われるようになり、それが客を呼んでいるわけだ。

この国の夏は雨がほとんど降らず、夜間も月が美しい。8月中句はちょうど日本の十五夜のように月見の習慣がある。毎年8月の満月が輝く週末には、ギリシャ全土の遺跡や博物館が夜間無料開放される。青い月の光に照らし出される遺跡は、昼間とはまた違う幻想的な雰囲気を湛えている。といっても、ただ見せるだけでなく、今ではそれらを利用したイベントが頻繁に行われている。特に6、7、8月は音楽、演劇、現代舞踊、絵画展覧会などさまざまな催しが目白押しのフェスティバルが開催される。

2014年9月6日土曜日

将来を予見する能力

米国の賛成とて、怪しいものである。「拒否権」なしにしろ日本を常任理事国にするということは、話にあかっている他の三国もしなければならない。ところが、ドイツは味方してくれるとはかぎらないことは実証済みだし、インドはともかくブラジルもこの点では同類だ。一人の味方を引き入れる代わりに、敵にまわる可能性少なからずの国を二つも同時に引き入れるほど、米国はお人良しであろうか。そして、ロシアと中国。もしもこの二国も拒否権なしの日本の常任理事国入りに同意するとなれば、それはもうすさまじい代償、つまりカネとの引き換えになる怖れがある。それはどの代償を払ってまで、得る価値をもつ地位であろうか。

「ハイレベル」には悪いが、安保理改革はおそらく今回も現実化しないだろう。改革の鍵をにぎる国々に、改革してトクなことは少しもないからである。ゆえに日本が為すべきことは、血迷ってわれを忘れることではなく、何をどうやればディグニティをもちつつ国連に協力できるかを、冷徹に見極わめそれをやることだと思う。古代のギリシア民族が神話・叙事詩・悲劇・喜劇を通して創造した人間の種々の相は、二千五百年が過ぎた現代でもその適確さをまったく失っていないが、その一人にトロイの王女カッサンドラがいる。

この王女に恋した男神アポロンは、将来を予見する能力を贈物にすることで彼女に迫った。目的はもちろん、ベッドを共にすること。多神教の世界であった古代では、神々といえども人間的なのである。それゆえか、その神の一人に惚れられた人間のほうも、恐縮のあまりに簡単にOKする、などということはない。カッサンドラもアポロンに、決然たる態度でNOと言う。それには怒ったアポロンだが、そこはやはり神、ならば贈物は返せなどと、ケチな人間の男のようなことは求めなかった。贈った予見能力は、以後も彼女がもちつづけることは認めたのである。ただし、ある一事をつけ加えた形で。

それは、カッサンドラがいかに将来を予見し警告を発しようと、人々からは聴き容れられず信じてもらえない、という一事だったのである。トロイは、彼女が予告したとおりに滅亡する。だが、落城時の阿鼻叫喚の中で、誰が、これを早くも予想しそれへの対策を訴えつづけていた王女を思い出したであろうか。予言しても聴き容れてもらえず、それが現実になったときでも思い出してもらえないというのだから、これ以上に残酷な復讐もない。

以後、ヨーロッパでは、現状の問題点を指摘し対策の必要を訴えながらも為政者からは無視されてきた人を、「カッサンドラ」と呼ぶことになる。まるで、有識者や知識人の別称でもあるかのように。これもまた、何かを与えれば別のことは与えないというやり方で、神でも人間でも全能で完璧な存在を認めなかった、いかにもギリシア的な人間観と言うしかない。前回でとりあげた国連改革「ハイレベル」委員会の答申を読んでいて、自然に思い浮んできたのが、日本の政府や省庁が活用しているらしい各種の審議会であった。