2014年4月17日木曜日

国営工商業部門の利潤上昇

郷鎮企業の登場によって「農業と近代産業とのあいだの二元的な循環が突破されはじめ。相互に交流し、相互に促進するというよろこぶべき局面があらわれた」という、中国経済学者の表現は、的確である。郷鎮企業は、「強蓄積」メカニズムのもとで中国が整備しそこねてきた農工間の連関を創出し。中国経済をひとつの有機体たらしめる重要な役割を演じている。

人民公社制度により農業余剰を権力的に搾り取り、これを重工業投資にふり向けることによって形成されてきた強蓄積メカニズムと、それに由来する歪んだ二重構造を是正する契機が、ここに生成したのである。一九七八年の第一一期三中総の決定以降における右に述べてきた中国経済の動態が、その蓄積メカニズムにどのような変化を与えたのかを、いくつかのマクロ指標のなかに観察してみよう。

第一次五ヵ年計画の開始以来、中国の蓄積メカニズムの起点にあったのは、なんども指摘してきたように、食料の低価格強制買付けならびにシェーレを通じての農業余剰の国家吸引であった。しかし前者は、一九七八年以降の国家食料買上価格の引上げならびに強制買付の量と品目の減少を通じて、その機能は明らかに弱まった。後者のシェーレはどうか。

現在における「企業収入」が国営工商業部門の利潤上納部分である。これと工商税収を合わせた分か、同図にみられるように第一次計画以来、一九七八年まで国家財政収入のほとんどを占めてきた。これが、シェーレを通じて国家に移転された農業余剰を「体系化」したものであったことは、すでに示唆した通りである。ところで、この上納利潤と工商税収の合計が財政収入総額に占める比率は、一九七九年以降にわかに減少を開始していることがわかる。その減少は明らかに企業上納利潤の急減に由来する。

企業上納利潤の減少は、一九七九年以来の経済体制改革の過程で進められた企業自主権拡大の帰結である。国営企業利潤の一定比率を企業内に留保させる「利潤留成」、さらには上納利潤額を事前に設定してこれを企業に請け負わせる「利潤請負」を経て、一九八四年以降、利潤上納を納税制に全面的にきりかえる「利改税」が採用された。企業収入項目の急落傾向は、なによりもその帰結である。対照的に、工商税収はそのシェアを高めた。

2013年12月25日水曜日

現在の日本の学校や教育の在り方についての批判

親子の場合は、選択によらず運命的に決定されているのだからなおさらである。どんなことがあろうと、運命的に決定づけられた関係を生き切ることが「愛」と言えるのではなかろうか。自己実現というのは、他人との関係を不問にすることはできない。家族という不可解な存在の理解を通じて、「自己」というのが理解されてくる。このようなことを言っても、馬鹿なことを言っていると思う人も多いことだろう。そんなわけのわからぬことを考えるより、もっと自分の「自由」が大切であるという人もあろう。そのような人は「家族」ということにほとんど重きをおかないだろうし、人間が一人で快適に暮らせる環境もますます整ってくるだろう。おそらくこのような生き方を望む人の方が増えてくると思う。にもかかわらず、私のような考えの人間も、少数であるにしろ、いてもいいのではと考えている。

一生、一人で暮らしていても、心のなかに私の言うような意味での「家族」をもっている人もあるので、私の考えは、人間は必ず結婚して子どもをもつべき、などというのではないことを最後につけ加えておきたい。現在の日本の学校や教育の在り方についての批判は、非常に厳しく強い。それはあらゆる機会に、あらゆる人から聞くことができる。確かに、それらは改革していかねばならない。しかし、それらがいかに困難であるかという認識はあるのだろうか。現在のことを嘆く人はすぐに、昔はよかったと言いがちである。「昔の先生は偉かった」、「昔の学校は素晴らしかった」と言う。果してそんなによかっただろうか。なかには偉い先生もおられただろうし、よい学校もあっただろう。しかし、冷静に現在と比較して、それはどもよかったと言えるだろうか。話はそれほど簡単ではない、と私は思っている。

国内ではあまり評判のよくない日本の学校も、特にその初等教育に関しては国外でむしろ高く評価する人も多かったことを、まずは指摘しておきたい。ごく簡単に言うと、少ない教師で子ども全体の学力を高め、まとめていくという点で、それは高く評価されている。欧米の一クラスの児童の数に比して、日本でははるかに多いのに、学習の効率は非常に高い。このことを、戦後の日本の経済発展の早さの原動力にあげる人さえいる。つまり、日本の労働者の知的水準が高いので、新しい技術などの導入に大いに役立った、と考えるのである。このような点を詳しく書くといくらでも書けるが、むしろ、今後の課題の方に焦点を当てるため、この点はこれで切りあげるが、以上のことは、まず明確に認識しておかねばならぬ事実である。

ところで、日本の経済が発展し、いわゆる「経済大国」になったあたりから、日本の教育に対する評価も変ってきた。これは、日本の経済力に対する攻撃も含めてのことだが、「日本人は他の真似ばかりする」、「創造的な仕事が少ない」という批判が生じてきた。日高敏隆氏もそうした批判に触れているが(「日本文化と大学の効用」『現代日本文化論』第3巻「学校のゆくえ」)、いわゆる「日本タダノリ論」である。アメリカの友人が、「日本は、先に行く者の真似をして、すぐに追いついて来たが、追い越してしまってからは誰の真似をするつもりか」と言ったことがある。自分のアイデアで、自分の発見をもとにしてトップを走ることが、日本人に可能か、というわけである。これはなかなか厳しい言葉である。これと同様の言葉を、多くの日本の政治家、外交官、ビジネスマンなどが、欧米人から聞かされたことと思う。

端的に言って、日本の教育は明治以来、「追いつけ、追い越せ」の教育であった。そして、暗々裡に、まさか追い越すことなどないと思っていたのではなかろうか。それが経済的に実現した。ところが、この追いつけ方策は、なりふり構わずであった。小学校の教育は徹底してヨーロッパをモデルに考えた。日本のもっていた多くの伝統を棄てて追いつこうとした。そして追い越そうとするときに、「お前本来のものをもっているのか」と問われることになった。いや、われわれは和魂洋才でやってきたと言う人があれば、その人に対しては、あなたの「和魂」はどんなもので、「洋」の真似をするのではなく、「洋」を追い越すときにも役立つものですか、と問わねばならない。