バブルへの対応について、日銀も大蔵省も、致命的な失敗をしました。日銀の利上げも財務当局の「総量規制」も、景気が上り坂のときに発動して、好景気が長くゆるやかに続くよう誘導すべきなのにタイミングを遅らせ、始まった崩壊を深刻化させる方向に舵を切ったからです。「日銀、大蔵省という経済政策の両エンジンが、ともに逆噴射したのだから、日本経済が墜落したのは、当然の結果だった。」と著者は書いています。日本の経済は、この墜落以来、一度も本格的には回復することなく今に至っているのです。
しかし当時はバブルを潰すのが正しいことと宣伝され、株価を支えようとした宮沢首相の政策は不評で政治は混迷し、細川連立内閣が誕生しました。細川内閣の「政治改革」のかげで進んだのが大蔵省主導の「財政改革」でした。これは唐突な「福祉税という名の消費税引き上げ」提案となって挫折するのですが、この後、財務当局の「歳出削減・国民負担増路線」が日本経済の重石となって行きます。
バブル崩壊は、株価・地価の下落に止まらず、金融機関の相次ぐ破綻となって長く尾を引きました。著者の見地からすると、これはバブル是正の不徹底ではなく、行き過ぎた崩壊に起因する当然の成り行きなのでした。正常な経済回復政策なしに不良債権処理を先行させれば、不良債権は逆に、連鎖的に増加することになります。
こうしてバブル崩壊から10年たっても景気が回復しない異常な時代となりました。著者の言葉を借りれば「資産が減って嬉しい人はいない。気持ちは暗くなるし、将来は不安だし、物を買う気がしなくなる」デフレ時代の到来です。村山内閣のときにも小渕内閣のときにも、経済回復のきざしは何度かありましたが、いずれもあと一歩のところで本格化には至りませんでした。「日本の政策当局は、金利を上げたがり、大蔵省は、財政健全化を急ぎすぎる。」と著者は書いています。
閉塞状態になった日本の経済社会は、なんとか打開してくれる救世主を待望するムードを醸成していました。そこでは、いくつかのスローガンが呪文のように繰り返されました。「郵政民営化は改革の本丸」「金融ビッグバン」などなど。これらの内容を、国民はどこまで理解していたでしょうか。それらはグローバル・スタンダードに遅れないためであるとも説明されました。しかし、それを待望し最大の利益をあげるのが誰であるかは、まだ一般には知られていませんでした。
2012年7月12日木曜日
2012年6月15日金曜日
過去最大に迫る日経商品指数の下落率
主要商品の取引価格で構成する日経商品指数(1970年平均=100)が急落している。国内景気と相関性の高い前年比騰落率は17種の昨年末値がマイナス25.1%と、アジア通貨危機に国内金融危機が追い打ちをかけた98―99年時の下落率も超えた。今後、鋼材などの値下がりは指数下落を加速する可能性がある。第1次石油危機後に記録した過去最大の下落率(29.4%)さえ上回りそうな気配だ。
月末値ベースで見た17種の前年同月比騰落率は2002年の景気拡大からプラス(前年より上昇)を維持。軽い後退局面入りとの観測さえ出た2回目の「踊り場」でも05年5月のプラス1.3%で踏みとどまった。しかし今回は米リーマン・ブラザースの経営破綻をきっかけに金融危機が実体経済に波及。8月末のプラス21.5%から急落が止まらず、10月末値で42種とともにマイナス(前年より下落)に転じた。
日経商品指数から景気動向を読む場合に水準は関係なく、勢い(騰落率)の変化を見る。内閣府が景気動向指数の先行指標に採用している42種も騰落率の変化で改善、悪化を判断する。17種の過去の推移を見るとアジア通貨危機に山一証券や北海道拓殖銀行の経営破綻が重なり、97年10月から99年いっぱい続いたマイナス局面で、下落率は99年1月に16.8%、42種も13.5%に達している。ただマイナス幅が縮小しても景況感は改善するため、この時は99年1月が底になり、IT(情報技術)バブル崩壊前の2000年1―2月には17種も水面上に顔を出した。
ところが今回の下降局面でまだ底は見えない。17種の昨年末値の前年同期比下落率(25.4%)は、プラザ合意後の円高不況に原油価格が1バレル10ドル以下に急落した局面の86年7月末値(マイナス27.6%)に迫る。第2次石油危機後の下落はピークの81年2月でもマイナス20.5%とそれほど深くなく、86年水準を超えると第1次石油危機の反動で急落した74年12月末値のマイナス29.4%が視野に入る。プラス20%を超す高水準からわずか4カ月でマイナス20%超へという変化の大きさといい、米国の住宅・証券化バブルの崩壊が招いた実体経済への影響が既に驚異的な大きさであることが日経商品指数の動きでも分かる。
昨年は原油価格が1月に初めて1バレル100ドルを突破してから7月の147ドル台まで急騰を続け、17種も7月の185台まで上昇した。原油や穀物価格が現状で下げ止まったとしても、日経商品指数は昨年前半との比較で夏まで下落率の拡大が続く公算が大きい。しかも自動車や家電向けの需要減少とアジア、中東の大型設備稼働が重なる石油化学製品や、これまでの原料高で高止まりしていた鋼板が鉄鉱石の値下がりとともに今後下落する可能性は高い。
主要商品の値下がりは消費者物価の落ち着きや企業コストの軽減につながる半面、景気変化を半年ほど先読みする商品市況のベクトルは下落率が縮小するまで上向かない。日本経済は7―9月期までマイナス成長が続くと予想する三菱UFJ証券の水野和夫チーフエコノミストは「02年から輸出依存度を高めてしまった結果、海外変調に伴う量の減少と円高のダブルパンチが厳しい」と指摘する。個別商品ごとの振れはあったとしても、やはり商品価格は指数でならして見れば景気や経済構造の変化を如実に物語る。
月末値ベースで見た17種の前年同月比騰落率は2002年の景気拡大からプラス(前年より上昇)を維持。軽い後退局面入りとの観測さえ出た2回目の「踊り場」でも05年5月のプラス1.3%で踏みとどまった。しかし今回は米リーマン・ブラザースの経営破綻をきっかけに金融危機が実体経済に波及。8月末のプラス21.5%から急落が止まらず、10月末値で42種とともにマイナス(前年より下落)に転じた。
日経商品指数から景気動向を読む場合に水準は関係なく、勢い(騰落率)の変化を見る。内閣府が景気動向指数の先行指標に採用している42種も騰落率の変化で改善、悪化を判断する。17種の過去の推移を見るとアジア通貨危機に山一証券や北海道拓殖銀行の経営破綻が重なり、97年10月から99年いっぱい続いたマイナス局面で、下落率は99年1月に16.8%、42種も13.5%に達している。ただマイナス幅が縮小しても景況感は改善するため、この時は99年1月が底になり、IT(情報技術)バブル崩壊前の2000年1―2月には17種も水面上に顔を出した。
ところが今回の下降局面でまだ底は見えない。17種の昨年末値の前年同期比下落率(25.4%)は、プラザ合意後の円高不況に原油価格が1バレル10ドル以下に急落した局面の86年7月末値(マイナス27.6%)に迫る。第2次石油危機後の下落はピークの81年2月でもマイナス20.5%とそれほど深くなく、86年水準を超えると第1次石油危機の反動で急落した74年12月末値のマイナス29.4%が視野に入る。プラス20%を超す高水準からわずか4カ月でマイナス20%超へという変化の大きさといい、米国の住宅・証券化バブルの崩壊が招いた実体経済への影響が既に驚異的な大きさであることが日経商品指数の動きでも分かる。
昨年は原油価格が1月に初めて1バレル100ドルを突破してから7月の147ドル台まで急騰を続け、17種も7月の185台まで上昇した。原油や穀物価格が現状で下げ止まったとしても、日経商品指数は昨年前半との比較で夏まで下落率の拡大が続く公算が大きい。しかも自動車や家電向けの需要減少とアジア、中東の大型設備稼働が重なる石油化学製品や、これまでの原料高で高止まりしていた鋼板が鉄鉱石の値下がりとともに今後下落する可能性は高い。
主要商品の値下がりは消費者物価の落ち着きや企業コストの軽減につながる半面、景気変化を半年ほど先読みする商品市況のベクトルは下落率が縮小するまで上向かない。日本経済は7―9月期までマイナス成長が続くと予想する三菱UFJ証券の水野和夫チーフエコノミストは「02年から輸出依存度を高めてしまった結果、海外変調に伴う量の減少と円高のダブルパンチが厳しい」と指摘する。個別商品ごとの振れはあったとしても、やはり商品価格は指数でならして見れば景気や経済構造の変化を如実に物語る。
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