2014年7月18日金曜日

バランスのとれた軍縮

イニシァティヴというのは自分のほうがまず一方的に軍縮の口火を切るということですから、それ自体、非対称性をもった行動です。そこで、それに結びついた戦略構造にも非対称性が見られることになります。具体的にはINFの廃棄について、米国側が廃棄を約束したのは八五九ですが、ソ連は約二倍の一七五二を廃棄することに合意した。自分のほうが二倍ぐらいの廃棄をするというのは、これまで長々と主張されてきた「バランスのとれた軍縮」という考え方からすると、かなり型破りです。つまり、バランスとか対称性とは違う発想の芽がここに見られるわけです。

その後、ソ連の側で新しい戦略についていろいろ議論がありましたが、リーズナブル・サフィシェンシー(合理的十分性)という考えが出てきました。米国がミサイルを一つつくればソ連も一つつくる、米国と同じ量持たねばならないというのは愚かなことである、むしろ安全を増大することには何の役にも立だない、もっと違うアプローチをとろうという考え方です。私は、非対称的な防衛にまでいかない限りは、軍縮も進まないし、軍縮の方向での安全保障を確保することもできないという持論を永年述べてきたのですが、そのことが現実に、しかも超大国の一方で行われ始めた。この転換は非常に大きな変化だと思います。

首脳会談が成果を生むようになったことの基礎には、明らかに「新しい思考」による政治的リーダーシップに立脚してイニシァティヴがとられたということがあるわけで、これが一番重要な点なのです。そうでなければ首脳会談を開いても、バランスをとるといった議論に終始して、せいぜい「軍備管理」についてごく部分的に合意することで終わるといった従来のパターンのくり返しに終わったことでしょう。その意味で、米ソ首脳会談のもつ性格が、ゴルバチョフの登場以来変わったと言っていいと思います。

第二次大戦後の核軍縮の失敗の歴史をみながら、それを成功に転ずるためには一方的イェシアティヴこそが最も合理的な選択なのだと強調され、そのための内発的な自己変革が必要だといわれました。いまうかがったソ連の変化には、そのことがはっきりとみられるように思います。モスクワの首脳会談で夕食会でのあいさつの中でもゴルバチョフ書記長は、最初に「武器とははたして必要なものだろうか」という呼びかけをしています。これまでの超大国の首脳の発言にはみられなかった発想の転換が感じられます。

すでに七〇年代の終わりごろから、先生は、ソ連は変わりつつある、と私に話しておられましたが、国家と社会の二元化という形でソ連型市民社会の形成が進みつつあると話されたこともあります(『世界』一九八六年一月号)。ペレストロイカの現状にかかわってどのようにみていらっしやるか、うかがえるとありがたいのですが。ソ連経済が非常に悪化してきているために軍縮をいわざるをえなくなったのだという意見です。たしかにソ連経済が、ソ連の指導者にとってもコントロール不能な状態になっていたという面はあります。しかし、私は経済が悪くなったから軍縮を言い出したという議論は、素朴唯物論的で、単純すぎると思います。それは二つの点からです。